1.23.2016

追悼 Pierre Boulez



5日のピエール・ブーレーズ訃報の知らせを受けてからというものの、彼とクリーヴランド管弦楽団の録音作品を貪るように聴いている。
デヴィッド・ボウイやEaglesのグレン・フライの逝去を半ば冷静に受け入れることができたのはブーレーズの追懐に余念がなかったからで、そもそもわたしが学部でフランス音楽、しかも19世紀以降の近現代音楽を専攻するきっかけになったのは彼の存在にほかならないのである。

IRCAMをきっかけに彼を知り、初めて聴いた作品はノタシオンという典型的な入り口であったが、彼を知りながら近代音楽史の系譜を辿り、20世紀のフランス音楽を知ることになる。そんな経験があるからこそ、ブーレーズの歩みがそのまま音楽史の一部になっているということにも、なんとなくうなずけるのだ。
極小セリー形式からの出発、物議を醸した「シェーンベルクは死んだ」評論、総音列技法など、現代音楽家として無視できない経歴を持つが、忘れてならないのはジョン・ケージが生み出した「偶然性の音楽」に対する反発である、とおもう。ブーレーズはケージと交流をもっており、ケージは幾度と彼にアメリカ訪問を促したこともあったが、これをきっかけにふたりの間に亀裂が走る。ブーレーズは、「管理された偶然性」を導入した。

「僕は偶然性は厳密にコントロールされなくてはならないと思う。一般的な表や、あるいは一連の表によって。書かれたものであろうとなかろうと、偶然性のオートマティズム(自動化)という現象を方向づけることは可能だ…。僕は『自動書記(オートマティック・ライティング)』と呼ばれるものにはちょっと懸念を持っている。というのは、それはたいていコントロールの欠如のことだからだ…」

クラシックって何から聴けばいいのという人に、迷いなくこのディスクを勧めることができる、そんな時代になってほしい。

ストラヴィンスキー:春の祭典/ペトルーシュカ
ブーレーズ(ピエール)
SMJ (2012-12-05)
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6がつく年は新しいシーンが始まる年とのことで、年明けから相次いで偉大な音楽家の訃報が相次いでいたり、人気グループの終焉が見え隠れしていたりして、心のなかではひそかにエキサイトしている。どんなに体調がすぐれなくても心身ともにつかれていても、もう音楽だけはもりもり聴いている、そんな状況でありたいともおもう。ひとまず2015年に見逃した映画と手つかずの新譜を片付けたので、心あらたに、2016年のシーンを始めたい。